近頃また年齢が増えたわけですが、
誕生日にちょうど他所の家に遊びに行ってて、
ついでに祝ってもらえたんですね。
その時に情緒が狂って泣きそうになったんだけど、
「嬉しい」によるものではないな、と思ってそれが何なのか考えていた。
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考えているうちに思い出したのが、
小学校低学年くらいの頃の、それもまた誕生日の話になるのだけれど。
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その日は、祖父祖母の家に行っていて、
子供ながらに「誕生日なので祝ってほしい」と思っていたけど、
自分はそういう主張ができない少年だった。
もやもやした気持ちを抱えたまま帰ろうとしていたら、
帰り際、祖母が「これで好きなもの買って」という旨を伝えつつ、
俺にポチ袋をくれた。
で、なんか泣いた。
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その時もその時で嬉しくて泣いたとかではなく、
「大人に気を使わせてしまったな」という申し訳なさが強かったような気がする。
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今回の情緒不安定については
1. 親兄弟ではない身近な人間に祝われる
2. 祝われることを目的に訪ねたわけではない
の類似点から、過去の体験が無意識にフラッシュバックしたのではないか。
というのが個人的に一番納得がいく理屈。
しかし、老いても自分の琴線が全然わからんね。
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年々自分が何考えてるかわかんなくなるのは、
想定しているアイデンティティと現実が乖離しているのが原因ではないかな。